2014年5月19日月曜日

なぜ生きるのは辛いのか

とんでもない大風呂敷なタイトルだな……。

3点リーダを2個使って文芸分かってますアピールをしたところで本題。


なぜ生きるのは辛いのか

うーん。なぜだろう。
例えばこれを読んでる人は生きてるの辛いですか?
こっちとしては辛いならいいのにな、って思ってます。
なぜなら自分も辛いから。
辛い人が自分だけじゃないと分かれば、それだけで救われるから。

でもその人の辛いと自分の辛いは全く違うんですよね。
辛いを測る尺度なんてないし、同じことで悩んでても悩み方は人によって千差万別。
最近この、人によって違う悩み方などの感じ方全般を「固有の感覚」と呼んでます。
例えば2人でジェットコースターに乗ります。
乗った後の感想が2人とも同じ(怖かったとか、楽しかったとか)だとしても、
言葉で一致しているだけで2人の感じ方は全然違うわけです。
どういう揺れや動きを体のどの部分が感じて、
それを脳がどのように解釈したか。
あるいは背筋にどれぐらいの冷たさを感じて、
どれぐらいの大きさの声で叫んだか。
それは多分、ほぼ100%一致しないわけです。
それぞれが感じた「固有の感覚」を言葉にしたら、
たまたま一緒になったというだけです。

話がそれましたね。
元に戻ると、この「なぜ生きるのは辛いのか」の「辛い」は
まさにその「固有の感覚」なわけです。
他のどの人の辛いとも違う、自分だけが感じているものなのです。
だから、「なぜ生きるのは辛いのか」という問いにきちんと答えるためには、
「辛い」をきちんと分析する必要があるのだと思います。

また、少し話がそれますが、
「自分が辛いと思っていることを紙に書き出す」というのが、
うつ病の治療手段の1つとしてあるようです。
もちろん書き出すだけで辛いと思わなくなるわけではないのですが、
書き出すことで混沌とした「辛い」が個別の事象に分解され、
そのことで症状が緩和される部分があるということらしいです。
(すいませんここかなり怪しいので間違っていたらすいません)

それを踏まえて、最初の問いに戻りますと、
「なぜ生きるのは辛いのか」という問いは、

「なぜ【Aという事象】と【Bという事象】と……【nと言う事象】は辛いのか」

もっと言えば

「なぜ【Aという事象】と【Bという事象】と……【nと言う事象】は私に【~が痛い】、【~をする気が起きない】……などが集まった辛いという感情を抱かせるのか」

という風に変換できるわけです。

こうなれば……どうなんだ?
何も考えずに書いていたら論が進まなくなりました。

「なぜ生きるのは辛いのか」のトートロジー

そもそも生きるのが辛いから生きるのが辛いのであって、
それ以上でもそれ以下でもないのです。
それを解決する方法としては、上記のように「辛い」を分解して、
1つ1つの問題に対処していけばいいのだと思います。
(対処の仕方は各種自己啓発本や医師などにお任せします)

もの凄く歯切れの悪い終わり方になりそうなので、
結局何が言いたかったのか言っておきますと、
「生きるのが辛い」と思ったら、その気持ちはあなたにとっての
「固有の感覚」なので、無暗に人のアドバイスなどには耳を傾けず、
(誰かの辛かった時の対処法は、その人の固有の「辛い」を解決したに過ぎないので)
きちんと自分の「辛い」と向き合って分析して、
対処法を模索していくしかないのだ、ということです。

ちなみに自分にとっての「なぜ生きるのは辛いのか」への答えは
「明日が月曜日だから」です。些細なこって。